宛先は、まだ少し先にある
きょう10月9日は「世界郵便デー」。万国郵便連合の目的は「全世界を一つの郵便地域にすること」だったそうです。手紙は書いているあいだ、まだ届いていない。稽古も同じで、宛先は2027年9月26日のSAGAアリーナ。「誰に見せるの」と聞いたら「まだ会ってない人です」と。本番まで352日。
続きを読む稽古、キャスト、協賛、舞台裏。ネバーランドSAGAができるまでの物語を綴ります。
きょう10月9日は「世界郵便デー」。万国郵便連合の目的は「全世界を一つの郵便地域にすること」だったそうです。手紙は書いているあいだ、まだ届いていない。稽古も同じで、宛先は2027年9月26日のSAGAアリーナ。「誰に見せるの」と聞いたら「まだ会ってない人です」と。本番まで352日。
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きょう10月8日は「寒露」。気温何度から、ではなく、露にふれた指が「つめたい」と感じる。その感覚のほうを先に立てて季節の名前にしている。稽古場の変化も、だいたいこの速さでやってきます。「同じところを歌ったのに、今日は苦しくなかったんです」。本番まで353日。
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きょう10月7日は「ミステリー記念日」。読み終えて前のページに戻ると、手がかりはぜんぶ置いてあったと気づく。台本も同じ作りをしています。稽古の休憩中、台本を開いたまま「ここで黙る理由が、まだ分かりません」と言った子のことを書きました。本番まで354日。
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きょう10月6日は「役所改革の日」。1969年に松戸市役所にできた「すぐやる課」のモットーは「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」。稽古場にたまる小さな「あとで」と、残って四小節だけ歌っていた子の一言を書きました。本番まで355日。
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きょう10月5日は「時刻表記念日」。1894年の日本初の時刻表には、紀行文まで載っていたといいます。乗らない人も、読んだのでしょう。稽古場の壁の予定表の前で「来年のここ、わたし何年生だろう」と立ち止まった子のことを書きました。本番まで356日。
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きょう10月4日は「探し物の日」。『ピーターパン』は、置き忘れた影を探しに戻る場面から始まります。空を飛べる少年が、影だけは自分で付け直せない。稽古場で「わたし、そこだけ一緒に歌うよ」と言った子のことを書きました。本番まで357日。
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きょう10月3日は「登山の日」。十六小節の振りを三十回、はたから見ると何も変わっていないように見えます。「きょう、何も進んでない気がします」と言った子に、先生が足を指して答えました。「さっきより、半歩前に出てるよ」。本番まで358日の稽古場から。
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きょう10月2日は「望遠鏡の日」。「いちばんうしろの席から、私の顔は見えますか」と聞かれて、見えませんと答えるしかありませんでした。それから先生が続けて言いました。「だから、指先まで動かすんです」。望遠鏡とは反対に、自分のほうから遠くへ届かせる仕事のことを書きました。
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きょう10月1日は「国際音楽の日」、そして「衣替えの日」。レッスンで、はじめて声を二つに分ける日があります。隣の声が気になって自分の音が下がる。「人の音を聴いて。でも、自分の音は動かさないで」──それができた瞬間、誰も歌っていない三つめの音が聞こえてきます。
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きょう9月30日は「世界翻訳の日」。稽古場では毎日、訳せないものを訳しています。「ここはもっと遠くを見て」の一言が、三十人いれば三十通りの動きになる。言葉にできないまま、小さく息を吸って歌に入った子のことを書きました。
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きょう9月29日は「招き猫の日」。九・二・九で「来る福」。招き猫の手は、待っている手ではなく呼んでいる手でした。稽古場にも同じ手があります。遅れて入ってきた子に、何も言わず「こっち」とあがる手です。
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今日9月27日15時、佐賀駅前交流広場でキックオフ集会を開きます。駅前は本来、通り過ぎるための場所です。その場所を今日だけ、足を止める場所にしたい。いま会いたいのは、まだこのプロジェクトを知らない人だからです。
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きょうは中秋の名月。けれど今年の満月は、二日あとの9月27日です。昔から人が「名月」と呼んで見上げてきたのは、満ちきる前の月でした。私たちが見たいのも、満ちきった月ではなく、これから満ちていく月のほうです。
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きょうは「みどりの窓口記念日」。券売機があるのに、窓口にはいまも列ができます。行き先が決まっている人は機械で足りる。窓口に並ぶのは、少しだけ迷っている人です。9月27日(日)15時、佐賀駅前交流広場でキックオフ集会を開きます。
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きょうは秋分の日。昼と夜が、ほぼ同じ長さになる日です。舞台は、客席の灯りが落ちて真っ暗にならないと始まりません。照明卓にも袖にも受付にも人がいて、暗い側に立つと決めた人がいるから、明るい側ができます。
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きょう9月22日は「国民の休日」。由来のないこの日を休日にしたのは、両隣の祝日でした。ダンスで最初に覚えるのも、振りではなく立ち位置。居場所は先にあるのではなく、誰かの隣に立った日に生まれます。
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歌の休符は「何も書いていないところ」ではありません。ここは鳴らさないでくださいと、誰かがちゃんと書き込んでいる。袖で待つ時間も、舞台のうちです。9月27日(日)15時、佐賀駅前交流広場でキックオフ集会を開きます。
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九月二十日は「空の日」。飛ぶ場面は、飛ぶ人だけではつくれません。吊る人、灯りを当てる人、そしてもう一人、見上げる人。客席が一斉に上を向く、あの視線が、舞台の上の人を持ち上げています。
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九月十八日は「しまくとぅばの日」。言葉は、そろえるほど通じます。けれど三百人が全員おなじ声になったら、それはたぶん人の声には聞こえません。そろえるのではなくて、重ねる。
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九月十七日はモノレール開業記念日。あれほど新しかったものが、六十年のあいだにただの風景になりました。一度きりなら出来事で終わります。二度あって、ようやく風景になりはじめる。
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九月十六日はオゾン層保護のための国際デー。空の穴は、誰か一人が塞いだのではないそうです。顔も名前も知らない人たちが、それぞれの場所で少しずつ手を動かしただけ。舞台も、たぶん同じです。
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九月十五日は老人の日。敬うとは、これまでを讃えることだと思っていました。けれど「よくここまで来たね」と言った直後に思うのです。私はいま、この子の話を過去形にしてしまったのではないか、と。
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九月十四日はコスモスの日。半年待ってから返していい日が、暦にはちゃんとあります。稽古場で伝えたことも、その場では返ってきません。何ヶ月もあとの舞台の上で、その子が急にできるようになる。返事は、遅れて届きます。
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稽古場には決まりごとがあります。暗転で走らない。袖では声を出さない。子どもたちは「なんで?」と聞きます。そのほうが自由だからですよ、と答えています。決まりは、しばるためではなく、こわがらずにいられるためにある。
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公衆電話は誰の持ち物でもありません。町の角に立っていて、持っていない人にもかけさせてくれる。あるのは、受話器を取るか、取らないかだけ。「私なんかが」と考える人は、あの電話の前にはいません。
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色を送りはじめた日、色を受け取れる家はほとんどなかったそうです。届かないと分かっていて、先に色をつけた人たちがいた。二〇二七年九月二十六日の客席には、今日はまだ誰も座っていません。それでも稽古場では声が出ています。
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九は一つならただの九。もう一つ並んだだけで「重陽」という別の名前を持ちます。一人の声も、となりの人が歌い出した瞬間に和音になる。求められているのは上手さではなく、そこに立っていることのほうです。
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稽古のはじめに「読み合わせ」という時間があります。同じ「うん、わかった」を十人が読むと、十通りになる。文字は、たぶん声を待っています。経験がないことは、入らない理由になりません。
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めがねは少しずつ曇るので、曇っていること自体に気づけません。気づくのは拭いたあとです。「私、歌えないので」と言って来た人が、一度声を出したあとの顔を、稽古場で何度も見ています。
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一度浸けただけでは、あの深い黒にはならないそうです。稽古場も同じで、初日から声の出る人はひとりもいません。上手いというのは才能ではなく、どうやら回数の話らしいのです。
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いちばん時間のない人が、いちばん人に時間を渡しています。しかも不思議なことに、渡した人のほうが帰るときに機嫌がいい。もらったものが、その場では見えないだけなのだと思います。
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今日は防災の日。備えるというのは、たいてい来てほしくないもののためにするものなんだな、と思いました。僕らの準備は、その逆です。来てほしい日のために備えている。日付が決まっているというだけで、人はずいぶん動けるようになります。
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今日は野菜の日だそうです。ただ、この日付を見て先に思い出すのは、夏休みの最後の日だということ。学校に行かなくていいとは言いません。ただ、行く場所が一つしかないと、しんどくなったときに身の置きどころがなくなる。稽古場が誰かの「もう一つ」になれていたら、と思います。
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今日は富士山測候所記念日だそうです。誰にも頼まれていないのに、自分のお金で富士山の頂上まで運んだ人がいた。冬は越せず、途中で下りることになったそうです。それでも僕は、頂上に建てた時点で半分は終わっていると思う。続けられるかどうかは、始めてみないと分かりません。
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今日は文化財保護法が施行された日だそうです。誰かが「これは大事だ」と言葉にしたから残った。言われなかったものは、静かに消えていきました。舞台はもっと分が悪くて、幕が下りれば消えます。だから、いちばん大事な仕事をしているのは、実は観た人なのだと思っています。
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今日はユースホステルの日だそうです。世界に広がった仕組みの出発点は、計画ではなく、遠足の途中で降られた雨だった。はじまりというのは、たいてい立派じゃない。軽い気持ちでしか、人は最初の一歩を踏み出せないんじゃないでしょうか。
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今日は川柳発祥の日だそうです。江戸の町で商売をしたり子どもを育てたりしていた人たちが、その合間に書いた五七五が、二百七十年近く経った今も残っている。うまかったから残ったのではなく、その人の暮らしからしか出てこない言葉だったからだと思っています。
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油と酢は、放っておけばきれいに分かれます。稽古場も同じで、小学生から七十を過ぎた方までが、ほうっておけば年齢で分かれ、経験で分かれる。だから毎週、振ります。それでも油が酢になるわけではない。そのあいだだけ一つになるから、おいしいのだと思います。
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この時期になると、決まって「今さらですよね」と言われます。でも次の本番は2027年9月26日、夏をもうひとつ越えた先です。つまり、今日から始めた人が、本番の日にいちばん長く稽古してきた人の一人になります。急がなくていい。でも、遅くもない。
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「ミュージカルを観に行く」というのは、多くの人にとってかなり大げさな行為です。興味がないのではなく、行き方が分からないだけ。だから僕らは、モールの通路でも祭りの櫓のそばでも歌ってきました。停留所を、暮らしの道の上に置いているのだと思っています。
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約300人は、出演料をもらって舞台に立つわけではありません。仕事を切り上げ、ガソリン代を使って稽古場まで来る。損得だけなら続くはずのないことが、それでも続きます。差し出しているつもりで、いちばん受け取っているからだと思います。
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交差点では、名前も知らない人同士が、色ひとつで一斉に止まり、一斉に歩き出します。約300人が揃うのも同じで、器用だからではありません。同じ音を聞き、同じきっかけを待っているからです。だから、はじめての人でも初日から入れます。
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歌っている最中、人は自分の顔が見えません。「うまくできんかった」と言って帰る人ほど、その日の写真ではいい顔をしている。本人が見られなかった自分を、他の誰かが確かに見ていた。だから写真には価値があるのだと思います。
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夜に照明がついた途端、それまで行けなかった人が球場に入れるようになりました。技術が増えたのではなく、参加できる人が増えた。第2回を昼夜2公演にしたのは、「その時間なら行ける」という受け皿を二つ用意したかったからです。
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花火は数十分で終わります。あれだけの手間をかけて、跡形もなく消える。それでも人は毎年、同じ手間をかける。舞台も同じです。消えると分かっているから、あの日みんなあんなに本気だった。残らないものだけが、人の中に残るのだと思います。
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八月十五日。体験していない人間は、体験した人の何を受け取れるのだろう。数字や年号は覚えられても、それはたぶん受け取ったうちに入らない。人から人へ本当に渡るものは、いつも歌とか、話とか、そういう頼りない形をしています。
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泳げるようになった日を、覚えている人はほとんどいません。沈んで、立って、そのどこかで体が浮いていた。舞台も同じです。だから「うまくなってから来てください」とは言いません。順番が逆なのです。
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今日はお盆の入り。まだ誰も帰ってきていないのに、火だけが先に灯っている。来たから迎えるのではなく、来ると信じて先に明かりをつけておく。僕らも、まだ会っていないあなたのために稽古場の電気をつけて待っています。
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今日は国際青少年デー。大人はつい「応援しよう」と言うけれど、応援は安全な場所からでもできてしまう。だから僕らは、応援ではなく現場をつくります。発表会ではない、本物の大きさの舞台を。
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山の日、そしてお盆。人が佐賀に帰ってくる季節に、僕らは「帰らなかった少年」の話をしています。帰ることと、飛ぶこと。どちらかを選ぶ話ではないと思うのです。子どもだけの舞台ではありません。
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公式サイト musical-saga.jp 開設にあわせ、個人サポーターの募集を開始。3,000円から、佐賀の空にネバーランドを描く舞台を一緒に。
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